愚痴というのは不思議なもので、聞いていて腹立つ愚痴とそうほど不快でない愚痴があると思っています。
(あくまで個人的な見解です)

愚痴は不用意に話すことで
”実は自分もこんな話を他人にされているのかもしれない”
”なんか、この人、ネガティブな話しかしないな”
など、自分の印象を下げることにもなりかねません。

かといって、この世の中、愚痴りたくなることなどいくらでもあります。
たまには愚痴ってスッキリしたくもなります。

自分もそれなりにいろんな人の愚痴を聞く機会がありますが、不思議と不快な気持ちになる人とそうでない人がいるように感じます。

自分なりに分析を行ってみました。

腹が立つ愚痴

・同意を求めてくる。意見を押し付けようとしてくる
・あきらかに敵意がある。

「あの人のこういうところって嫌だよね。そう思うでしょ?」
「あの人ってこの会社にいらないと思うんだ」

人間は共感されることに快感を覚えるとよく言われます。
愚痴るという行為自体も自分がストレスに感じている事や、自分の大変な環境に共感してもらう事によって、ストレスを軽減しようとしているのかなと思っています。

まあ結構聞いてもらうだけでもスッキリするものでもありますが、共感してもらえると嬉しいですよね?

しかし、ネガティブな情報を無理やり押し付けようとされるとやはり気分はよくないものです。人それぞれ感じ方は様々ですから、自分の感じていることが全てだとは限らないのです。

あくまで自分の意見を聞いてもらっているという意識を心がけた方が、聞く方にも不快を与えずに済むと思います。

もちろん、お互いに共感できたならその場で盛り上がるのもありなのでしょうが、他人の悪口だけはいつか自分に返ってくると思って謹んだ方がよいですね。

それに対して、腹が立ちにくい愚痴もあります。

腹が立ちにくい愚痴

・あくまでも個人的な受け取り方としての意見である
・愚痴を言うにしても対象の立場も考慮した意見も見解として話す。

「あの人の立場でこういう考えなのはわかるんだけど。。。気持ちはわかるだけど。。。」

「みんながそう思う訳ではないけど、僕はこう思うんだけどねー。」

 

愚痴の対象の人の気持ちを汲み取っている事や自分の意見であることが感じられると、

聞いていて嫌な思いはしにくいなと感じます。

 

結論として、愚痴を言ってしまう時は、愚痴の対象者、聞く人への配慮を忘れるなという事だと思います。

ま、愚痴は言わないにこしたことはないのですがね。